ネリーのおやつ

ボッサリした日常をざっくりと ブログは短くオヤツ的なスナック感溢れるカンジで

お給料日

「皆のもの ボーナスである! 控えおろう〜!」
と旦那さんが明細書をヒラヒラさせて帰って来た。
おお、ボーナス!
ささっ、お前達並んで並んで
「パパありがと〜」「わ〜いわ〜いボーナスだ〜」
ボーナスが何であるかも絶対わかってない娘上下も旦那さんにまとわりつき、なんかすごくいいことらしいと「肩もみしますね〜」とサービスしている。
お給料日もそんなカンジで、すごくいい日に認定されている。
お小遣いもあげていないし、何か買ってあげる予定も別に無い、入ってきたお金は行く当てが決まっているが、お給料日は食卓にプラス1、2品美味しいものが並んで、旦那さんもニコニコしてるので、それで何となくいい日認定されているのかもしれない。


ワタシが小さい頃、お給料はお給料袋に入ってもたらされた。
給料日前の1週間、何か言うと「お給料が入ったらね」と母が言い、食卓は肉とか魚が減り、もやしとか豆腐とかが目立ちこのまま行ったら塩ご飯か!?とやや不安になった時にその日はやってくる。
ハンバーグとか豚肉のステーキの脇にナイフとフォークが置かれると
「あ!お給料日!」である。
父のおつまみも生牡蠣とか豪勢になっている。
上座に父が座り、おごそかに着物の懐からお給料袋が取り出され、かしこまった母に手渡される。
何となく「おお〜」となりながら、早くお肉が食べたいな〜とか思いつつ「お父さんいつもありがとう!」と言っていただきますをした。しばらく母の機嫌も良かろう。
というのがかつての我が家のお給料日であった。
お給料袋が振込の給料明細に変わっても「なんか淋しいなー」と思いつつそんな風だった。
ボーナスはさらに、お正月に何買おうかとか、新しい服を新調しようねとかの算段が加わり、お祭り気分である。


ワタシの記憶には無いが、母は1度お給料袋を無くしている。母から聞いた話。
お給料をもらった翌日。
買い物をして銀行に寄ろうと出掛けた先で、デパートのトイレに入った。
先に手を洗った母は、荷物を洗面台に置いたままトイレに入った。
あっと思って出てきたら、荷物はあったが、バッグの中のお給料袋だけなかったそうだ。
その月の1ヶ月のお給料丸々…。
「あんときゃ心臓止まると思ったね」
もちろん出て来る訳も無く、結局定期だか積立だかを崩して乗り切ったそうだ。
たまに思う。
盗んで行ったその人はそのお金を何に使ったのかな。
そんで、母は家計がピンチの時に『あの時のあのお金があれば』と何度思っただろう。


自分のお給料日は、同僚と指折り数えて待っていた。
なにせ毎日のように飲みに行っていたので、お互いの懐事情もよく知っている。
給料日前は誰かの家で家飲み、もう魚肉ソーセージ(ケチャップで炒めた)とか白菜だけの鍋とかにも飽きた!と言う頃にその日はやってくる。祭りだ祭りだ〜!
実家暮らしの子もいたが、ほとんど一人暮らしでピーピー言っていた。
それが1人欠け2人欠け…最後の2人になるまで祭りは続いたが、ワタシが辞めてしばらくして最後の1人も辞めた。祭りがないと、やっぱモチベーションがね!


今はバイトなので、ボーナスはない。淋しい。
家計の足しにしてるのだが、誰も肩をもんでくれない 笑
先日、子どもが半ドンだったのだがバイトに出て欲しい、とのことで母に子守りをお願いした。
バイト代から母にささやかなバイト代を出したら「うれしいわ〜」と喜んでいた。
ささやか祭り。
実家の年賀状を作って持って行ったら、母が眠そうだったのでどうしたのか聞いたら
「今日年金日だったのよ〜うれしくて昨日眠れなかったわ」と。そこまで!
給料日に張り切るのは、この母から引き継いだのだな。
そんなことがあって、つれづれに思い出した。


実家の年賀状を作ったお給料は

ニンジンでした。「半分でいいよ、お姉ちゃんにあげて〜」と言ったら同じものがもう一袋用意してあった。お隣の農家から2袋¥500で買って、とお願いされたそうな。

しばらくニンジン生活。
人参と白滝をタラコで炒める、胡椒を使っていたんだけど山椒の方が風味がいいです。
最近、胡椒の変わりに山椒を使ってますが、完全にためしてガッテンの影響です。



煮菜。
これって新潟の郷土料理だそうだ。知らなかった。どこでも作っているものだと思っていた。
たい菜を塩漬けしたものを戻して、打ち豆とあげさんといりことお味噌で煮るのだ。
あのね、ビックリするほどおいしいよ。
先日野沢菜漬けを20株ほどいただいて、途方に暮れたのだが、これも煮菜になるかと思って煮たら煮菜になった。