ネリーのおやつ

ボッサリした日常をざっくりと ブログは短くオヤツ的なスナック感溢れるカンジで

ピカッと

きなこさんの記事で泥団子について触れていた。
ぴかっと思い出したので泥団子話。
きなこさんのお話は爪についての機微にあふれたもので、泥団子メインの話ではありません、よしなに。





幼稚園から配られる冊子の中に、その記事はあった。
『君もピカッと光る泥ダンゴを作ってみないか』

このツールでは描けないが、その写真は本当に玉のように光る泥団子であった。


子どもの頃、よく泥団子を作った。
戦隊ごっこや魔法使いごっこと並んで、よくおままごとをした。
おままごとと言っても、おもちゃがあったわけでなく、社宅の玄関先にゴザを引いて、ママレモンやプリンカップの空いた物を食器にしてチマチマ遊ぶ、いわゆる見立てである。そこまでのモノでもない。
食器に見立てれば、水を入れたくなり、水が入れば、後はもう泥団子なのだ。
せっせせっせと泥団子を作っては並べ始める。
水が多ければ形になりにくく、水が少なければパカッと割れる。
美しい玉の形が作れれば、ヒーローである。

そして綺麗な玉になったモノに、乾いた白砂をかけると、完璧な泥団子となる。
しかし、白砂が水を吸ってしまうと、あえなく団子はパカッと割れる。
段々、みんなが割れない泥団子を作る事に集中し始める。どれだけ硬くできるか。クリクリと磨き始めたり、水を足したり、砂を足したり。
でも最後にはみんな割れるのだ。そういうものだった。


…それが、なにコレ!?超ツルッツルのピッカピカなんですけど!!
全然割れそうにない。
こどもそっちのけでその冊子を読んだ。
読んだら隣りの公園へ。
砂場も何も無い公園だが、さっさか掘り起こし、水を汲んで来て泥団子を作り始める。
子どものふるいで小石や砂利を取り除き、団子団子。


ここで誤算が生じる。
泥団子を作っていると、子どもが寄って来るのだ。いや寄って来るのはかまわないが、後ろのお母さん達の『よけいな事しやがって』的視線が痛い。
すでにうちの子達は泥だらけ、他の子達も母親を振り返りあきらめ顔の母達が「…いいわよ」と言うとわ〜っと泥団子を作り始める。
別にそんなこと思ってないですが、すみません。


水の量を調節し、団子の形になったら半日干す。
これができなかったんだな。子どもの時間の感覚は伸び縮みするが、待てない。
ついついいじり倒して割ってしまっていた。
並んだ泥団子、ほとんどは割れてしまっている。
残った物をビニール袋で軽く磨く。
そしてラップに包んで1日。
前段階で子ども達は挫折。もう別の遊びに夢中だ。
次の日、まだ綺麗な泥団子をビニール袋で磨きながら、もういいか、と思う。
結構ツルツルになってきた。
でももういいや、ワタシにとっての泥団子はこねくりまわして遊ぶものらしい。


それを持って公園へ行く。
子ども達は「すげぇ!」と寄ってくる。
「割っちゃおうか」とピュっと投げると地面に当たってパーンと割れる。
いくつも割って気がすんで、今度は葉っぱをちぎっておままごとになった。
そんでまた泥団子を作ったり。



余談だが、この泥団子の冊子がどこに行ったかな、と思って娘上の机の引き出しを開けたら、
引き出しの底に直接鉛筆で
『ままのばか』
って小さく書いてあった 笑
普段はリビングで勉強しているので、この机は使っていない。何にも入っていない。
でも、リビングで1時間も2時間も机に向かっていてもやる気が無くて2問くらいしか進まないときがある。
そんな時、怒られて自分の部屋で勉強しなさい!ってことが2、3回あった。

その時のかな、と思って、見なかった事にした。