ネリーのおやつ

ボッサリした日常をざっくりと ブログは短くオヤツ的なスナック感溢れるカンジで

生きてく

朝のニュースで、大津市のいじめに関する続報をやっていました。
市の教育委員会が会見で「いじめと自殺の因果関係はわからない」とはっきり言っているのを見て
…ああ、ダメだ、と。
恐喝され、死骸を食べさせられ、自殺の練習をさせられ、先生には笑ってスルーされたら死にたくならないだろうか?市の教育委員会同士でやってみたらどうだろう?視察とか行かないで、自分たちで身体でそこで検証してみたらどうか。わからなかったらやってみよう、教育なんだし。

これは昨日の話。今朝は中学校に家宅捜索が入ったニュースを見た。
事件から9ヶ月、この捜査で『結局因果関係はわからなかった』という結論になって、捜査でわからなかったので、これ以上この事件は終わり、という結末だけはならないでほしい。


ここからは、この問題やいじめとちょっと違う、前の時に書こうと思って話がズレてきてしまったので途中で止めたものです。
今回の事件とは全然別な話になるし、個人的な話(っていったらブログはみんなそうか)で、だいぶとっちらかってるので、続きを読む、にしたいと思います。



先日、娘上が腕に赤黒い痣をいくつか作って帰ってきた。
「どうしたの?」と聞くと「学校でお友達につねられた」と言う。
「『やめて』って、言った?」と聞くと「止めてって言ったけど『つねりごっこ』だから皆、笑ってやってたし、聞いてくれなかった」と言う。
「でも、こんなに痣になるようだったら、痛かったでしょう?これは怪我だよ。娘上は、お友達にこんなことしないよね?皆でつねり合いっこしたの?」と聞くと「私だけがつねられたの、後で○○君は悪い事したって謝ってくれたんだけど、○○ちゃんは謝らなかったから謝って欲しい」と。
「謝るのはもちろんだけど、もう、こんなことしないよって謝るんじゃないとだめだよね。娘上はこう言うことされても、まだその子と遊びたい?」
「ふざけてただけだし、もうしないでくれたら、遊びたい」
○○君も○○ちゃんも、ワタシも良く知る友だちだ。家にもよく遊びにくる。ご両親も知っている。
「娘上はどうしたい?○○ちゃんのお母さんにママから言った方が良い?」「先生に言って、先生から注意してほしい」「先生には言うけど、先生から皆の前で注意されてお友達と気まずくならない?娘上はそれで大丈夫?」「うん、みんなそうしてるから、大丈夫」
そうか、と先生に手紙を書き、痣を見てもらい、注意して話しました、とお電話をいただいた。
娘上に聞くと「あのね、すっごいぶすーっとした顔で『ごめんね!』って言ったよ」と。
その後、たまにまだつねられると言う。痣になるほどではないが、その度に娘と話す。
はたまた別な日、いつも一緒に帰ってるお友達に「娘上ちゃんの傘は大きくて邪魔だから、一緒に帰らない!」と言われたと言う。仕方なく独りで帰ろうとすると、「独りで帰っちゃだめなんだよ!」とほとんどイチャモンである。気の弱い娘上は、その子の後をトボトボついて帰った。
「いいよ、その子と帰りたくなかったら、独りで帰って来な。何か言われたら、ママが先生やその子にちゃんと言ってやるよ」と話した。その子とは一緒に帰ることもあるが、別な子とも帰ったりしている。

悪意は時々暴走する。

いじめられやすい人ってどういう人だろうか。
娘上は、人より成長が1年くらい遅いかな、とワタシは思っている。勉強が苦手で運動も苦手、絵や歌がうまいので、クラスでは妹のような扱いみたいだ。
でも時にイライラさせられるんだろう。


勉強ができて礼儀正しいAちゃんは、娘に「アンタは馬鹿なんだから…」とたまに言う。まれにつねったり叩いたり、でも娘のことが大好きだそうだ。
運動ができるSちゃんは、娘に高い塀から飛び降りるように言って、娘ができずに泣いて帰った後、その子のお母さんに「私悪いことをした」と告白して、お詫びの電話をもらった。
言葉のキツいT君は、遊びにくると友だちの妹の面倒もよく見てやったり、皆が道路に出ないか他の家にいたずらしないか監督している。


子どもができて、性格って小さい頃から結構決まってるな、と感じる。
そして、それが意地悪や悪意として増大して、制御できないモンスターにならないように、そしてそのモンスターの餌食になってしまわないように、どうか、親達は自分の子を見ていてほしい。理想論とかでなくて、そうしてくれ。うちの子のここはいいけど、ここは悪い、責任持って育てる、そうしてくれ。

「にげろ』という話が出た時に、ワタシは気付けるだろうか、娘は言ってくれるだろうか、と思った。ワタシは厳しく言い過ぎてないか、萎縮させすぎてないだろうか、でもここは叱らなくては、毎日そんなカンジだ。


生きて行くために、働いて、稼いで、食べて行く。
独りで植物を育てて、狩りをして生きて行ける訳じゃないから、社会の一員として。
若い人が、学校みたいな狭い世界で死んでしまうと言うことは、社会の損失だ。
とろくてイラッとさせられるヤツもイヤなヤツも、受け入れていかなくては人は減って行く。



高校無償化の話が出た時に、高校を無償化するよりも、中卒でも高卒でも、仕事をして生活して行ける環境を作る方がいいのではないか、と思った。
皆、同じようには生きて行けないのだから。
生きて行ける場を作った方がいいのに。


そして先生。
授業参観に行くと、「先生、○○君が転んで怪我をしました」「先生、あそこで喧嘩しています」給食になればひっくり返す子がいて、片付けてやり、先生はかき込むようにして食べ、お代わりの生徒達にご飯を配っていた。生徒数はワタシが学生だった頃の半分だが、ものすごく忙しそうだ。そして父兄は「仕事があるから先の予定を立てたいんだけど、先生の連絡が遅いから先生に電話して予定を聞いて先生にアレしてコレして…」…先生って何回言った?ものすごく忙しそうだ。
副担がいたらいいんじゃないだろうか。
各クラスの授業を見ても、先生によって全然違う。先生同士は相容れないのかもしれないけど、1人じゃ無理だろう。目も行き届かないだろう。
そして、すごく気になったのはどこかのコメントで『昔の教師はこうじゃなかった』的なことが書かれていて、ずいぶん良い先生に当たったか、忘れちゃってるのかな?と違和感を感じた。
ワタシの元職場の60代になる上司(女性)は、教師にイタズラをされてでも先生に何か言える時代じゃなかったからずっと我慢して男性不振になりずっと独身だ。50代の人は、自分の言うことを聞く子には公然とひいきしてた、給食のイチゴとかを配らずに家に持って帰っていた先生もいたよ、と酔っぱらってよくそんな話で盛り下がったりしていた。
どっちかっていうと、先の時代、先生と奉られていた人たちがやりたい放題だったから、今、つけを払うように縮こまっているんじゃないのかな?
違うな、人だわな。
いつでもどこにでも、えっと思うほど肥大する悪いヤツが居て、素晴らしくいい人がいたり、普通の人がいい人になったり時に悪い人になったりする。
子ども達は、渡って行けるだろうか。
とても苦労したとしても、宗教じゃないから、救いが確実にある訳じゃない。
でも生きて渡って行ってくれ。
代わってやれないし、先に死んで行くワタシだけど、生きている限り、守って叱ってそんで…


だいぶとっちらかってます。
だからなんなのさ、と言われたら、アレ?ってカンジですが、いじめ対策でなく、教育論でもなく、社会派でもなくただ、今回のことで感じたことを、わさ〜っと書き連ねただけになってしまいました。
違うな、と思ったら、コレを読んだ前後のみ軽い記憶喪失でお願いします。